米澤穂信『満願』感想
米澤穂信の『満願』
この人の本を読むのは『インシテミル』以来か。
短い中にも描写や世界観のつくりが濃厚でありながら、引き込む力が強く読みやすい。情景を間近に感じるような描写力は圧巻。上手い作家さんだなあと思う。
そして「らしさ」を感じさせないままどんでん返しを迎えさせ、そうだこれはミステリだったのかと後になって気づかせる自然さもすごい。
以下ネタバレ
夜警
部下を殉職で亡くした警察官が、警察官の向き不向きと部下のことを考える話。妻に暴力的な夫のところに乗り込んで、刀で斬られて死んだ部下とその真相。
自業自得だけど、嫌な話だ。
部下川藤には『ジェノサイド』に出てきた小狡い日本人ミックを思い出す。正直好きにはなれないけど悲しい目にあうのを見ると気が重くなる。
警察ネタや精神分析にはワクワクし、話の「転」には不意を突かれ、面白い話だった。こういう、最後にスッと心が冷えるような作品だったのか。
死人宿
夫に悩みに寄り添ってもらえず失踪した妻に久しぶりに会いに行く夫と、彼の反省、そして自殺者の多い宿の遺書の書き手を探す話。
旅館を描いた文の綺麗さや常識などないというテーマや、心情描写と共に進む死にさし迫った問題。
短編の中で一番好きかも。ただ、結末などまだ飲み込めきれていない感覚もある。あれはどういう意味なのか。
最後を読んで、この短編集の作風への確信を深める。
柘榴
美しい母と誰もを魅了する不思議な魅力の…しかし父には合わない男と美しい娘二人の話。娘二人の放課後の教室でのやりとりは幻想的でほんのり百合っぽい雰囲気。柘榴の神話になぞらえた話。
文字で書かれた台詞のみだというのに、男に語りで自然と人を魅了する魅力があると伝わってくる。美しかったし面白かったのだが近親間なおかつ恋愛脳の話であまり好きではない。母が可哀想だ。
万灯
短いながら濃厚な世界観だと最も感じさせたのがこれ。長編を読んだかのように、ここだけで終わらない地続きの世界を感じさせる。
最初はやや退屈だったが、話に入り込めてからは引き込まれる面白さ。
途上国の土地開発を目指す外国企業の二人とそれを拒む閉鎖的な村。
村の長の考えと呼び出された集会所と殺人。
関守
一人称独白体のホラーと似た話。事故の多発する山中の道という都市伝説を追って喫茶店でおばあさんに話を聞くフリーライター。
今気づいたのだが、この人の短編の話や世界観に深みがあるのは、一見関係ない設定も練られているからだろう。このライターのプライドや人となりのように。
主人公の返事がなくなっていく演出は怖くて良い。
オカルトを追って犯罪的な危険に行きつくあたり少し鈴木光司『リング』を思い出すね。
満願
元下宿先の女将さんが犯した殺人が正当防衛か否かを考える弁護士の話。キーとなるのは家宝の掛け軸。
ややこれまでと似たように思えてそこまで驚きはなかった。
話と直接に関わらないが、満願とは響きが綺麗な言葉だな。
時にホラーじみた演出があるが、トリックはとことん現実的なミステリー小説集だった。
綺麗めに端を丸めて書かれてはいるが、「いい人ではないが悪人と言うほどではない疎ましい人」だったり、ちょっとした事の積み重なりで犯罪に加担してしまう「普通の人」だったりと、書かれている人はどれもリアルな捉え方だと思う。
過剰ではなく誰もが持つけれど事件を呼ぶ、人の悪意や闇を巧妙に描いた短編集だった。
解説の数文がこの読後感を的確に表していた。
「描かれる謎は決して巨大なものである必要はなく、発端はごく小さなものでかまわない。読む者の関心を引っかける程度の、ほんのわすかなとげが生じていればそれでいいのだ。呈示された謎に対して、人は無関心ではいられない。」「最後になって急にどろりとしたものが現れるという展開は米澤作品の特徴の一つ。燦々とした陽射しが急にそこだけ翳り、ひやりとした感触を読者の心に残して終わるのだ。」