怪物はささやく
怪物が語る3つの物語。
3つ。物語の数に限りがあるのならば、その終わりにはなにかが待ち受けているということだろうと予感させる。そしてその通りに、明かされる残酷な真実。
あらすじと合わせて、美しい世界観のダークファンタジーを思わせる画像に、興味を持った。
映画を観るつもりだったが、成り行きで本を先に読むことに。
ファンタジックに思えた「怪物はささやく」。これは、とことんまで現実の話だった。
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【以下ネタバレ含む】
一気に読んだ。読み始めてからずっと、早く結末を知りたかった。主人公と同じ理由で。
ただ、形にされないだけで、答えは読者にもわかっている。
この作品には常に死の匂いがつきまとっている。13歳の少年の目を通して描かれた逃れようのない死が、あまりにもリアルだ。
モノトーンの挿絵も、生理的な恐怖感を誘う。
文は、3時間程で読めたくらいには読みやすい。小説として面白く、文学としても上手いと思ったが、もう二度と読まないだろう。それくらいに重みがある本だった。
考え方の変化で、少年の心は救われたのかもしれないが、死が訪れるという事実は依然として事実のままだ。私には、これが気を楽にしてくれない。
逃れられない死、予定済みの死の怖さ。ふと、オーデュボンの優午を思い出し、その苦しみはどれほどのものだったろうと考えさせられる。優午は未来が見えるのだ。予言するだけで、変えられない。全ての可能性が見えているから。
この話に出てくるそういったモチーフ、例えば「イチイの木」は、抗がん剤ではなく、緩和剤。病気を治しはしないが心を癒す。
それに、第3の物語で薬剤師がイチイの木を切っても意味がないと言ったのは、早期治療をしなかったため、もう治癒が不可能であり、緩和剤にも意味がなかったからだろう。
作中で何度も出てくる、何かを予感させる言い回し。語り手はその意味がわかっていないので、これらに何か意味があるのだろうという予感と不安感だけが付きまとう。叙述トリックを使ったイヤミスを読んでいる時と似た感覚だ。
作品の性質上、最後にならないと明示されないテーマは「死にゆく母親の死への疲れや責任」「わかっているのに、その事からさえ目を逸らし自分についている嘘」「自罰願望」と言えるだろうか。…虐殺器官の「死者の国」が表すものと似ているように思う。
さらに、主人公もある時点から悪夢を見始めるのだが、これも、上記の潜在意識を象徴するものだ。
少年は、自分を罰してくれる「怪物」に、恐れどころか安心感を抱く。なぜならもっと恐ろしい悪夢を見ているから。悪夢とは、母を失うことであり、母を失う日が来ることを望んでいる自分だ。