「帰ってきたヒトラー」感想
ブラックコメディで、かつナチスがテーマということで前から気になっていた『帰ってきたヒトラー』、
ちょうどアマプラが無料期間中だったのでこの機に観てみました。
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感想
コメディとしても面白いし、けっこう体張ったブラックジョークだらけ。よくオーケーでたな〜と思う。
とはいえコメディだけに振り切れない、現代人への警鐘を感じるようなカットも時々入り、緊張感もある。
魅力的なヒトラー
「帰ってきたヒトラー」のヒトラーのキャラクターは、危険でありながら、魅力的だ。
現代に突然やってきてしまったヒトラーにとっては、現代は訳のわからないものだらけな訳で、それに振り回される彼の姿は時には天然でチャーミングであるかのように描かれる。
それに、人ともユーモラスに普通に談笑する彼の姿は、「冷徹・非人間的」な記号的な悪のイメージからはかけ離れている。
だからこそ、うっかりしていると話を聞いてしまい、気づいたら説得されてしまっていそうな危なさがある。
彼が親しみを持てる部分もある人間だからこそ、わかりやすい悪より危険なのだと気づかされる。
わかりにくいながら「危険」と気づけるのは、彼の根本的な考え方が支配者のためのものだったり、過激だったりして、一般的なものとは違う。と思わされる場面がしばしば入るためだ。
それも、"チャーミング"な彼の延長上にあり、浮いてはいない。
この映画では、その「普通」と「普通じゃない」の描き方のバランスが絶妙だ。
その他
あとは、創作する者ならこの映画は「カリスマ性」の見本にするにもいいかもな〜と思った。
人を注目させる口調や間の取り方、演説の方法など、とても「らしい」。
ネタバレになるので言いませんが、最後の二人が対峙するシーンの仕掛けは面白かったな。
あそこでのヒトラーのセリフが映画のメッセージなのだろうか?
全体を見るに、まだ二重三重に意味がある気もする。
それが気になるので、そのうち原作?の小説も読んでみたい。
最後もなにやら不穏な演出でしたね。
『帰ってきたヒトラー』はhuluにはなかったので、動画配信サイトで観るのお考えの方がいらしたらアマプラでどうぞ
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「コードギアス反逆のルルーシュ 一期,二期」感想
「コードギアス反逆のルルーシュ(一期)」と
「コードギアス反逆のルルーシュR2(二期)」
各25話
出てくる関係性やシチュエーション、設定きっと好きだよ〜!と勧めてもらったのをきっかけに、一年くらいかけてゆっくり観ました。
ロボットもの、長編でキャラクター設定などもアニメらしいアニメで慣れない作品だったけど面白かった!
ざっくり感想を言うと、タメ部分がじっくり書かれていて長いが、きちんと回収してくれる作品という印象。
この長い部分をどう感じるかで好みが分かれそう。
本作の設定は、「日本」が「ブリタニア帝国」の植民地となって「エリア11」と呼ばれるようになった世界。
元々ブリタニア帝国の皇子だったルルーシュは現体制を崩そうとしてレジスタンス軍「黒の騎士団」を率いる。
元々日本人だったスザクは名誉ブリタニア人として、法の範囲内で内側から現体制を変えようとする。
どちらも急進派には変わりないのかな。
この設定が、単純に日本人vsブリタニア人ではなく込み入っていて面白い。
【以下ネタバレありの感想】
ルルーシュと因果応報
ルルーシュははじめはあまり好きではなかった。
ユーフェミアの悲劇を起こしてしまったところなど、なんというか、重いものを背負っているのにうっかりしている。
また、「ナナリーに嘘はつけない」と言ったりする甘さ。
それでいて、格好いい悲劇の英雄のように描かれてお咎めなしでうまくいく。
正直言って、
そんなうっかりで人の命を左右していいのか?
なぜあそこまで心酔されるんだ?
と疑問に思ってしまった。
それに、せっかくの協力者がいるのに、ただ尻拭いさせているのもなんだかなぁと。
しかし2期の後半、このフラストレーションを解消してくれる展開が訪れる。
これまでのツケが一気に回ってくるのだ。
彼自身が蒔いた種がスザクを信念に背かせ妹を殺したり。
利用するため愛情を抱かせたロロが、彼への歪んだ愛情故にシャーリーを手にかけたり。…因果の描き方が良い。
悲劇は走り出してからは止まることを知らず、予兆が見えてからは、ジェットコースターが一番高所に乗り上げたのがわかるように、後は加速するのみというのを感じさせるカタルシスがあった。
こういった展開の伏線として、今まではじっくりと描かれていたのかもしれない。
思えば一期のシャーリーの時もそうだった。大事だなんだと言いながら都合の悪い記憶を改竄するような勝手な奴かと思いきや、消していた記憶は…だったし。
ルルーシュに対してモヤモヤするから、なんだかな〜と思っている方は、ぜひ二期の後半まで観ることをお勧めしたい。
そしてルルーシュが力を持つことの欠点にも気づいて、覚悟もこれまでとは変わっていく。良いね〜〜
それ以降も、時々掴めないところや納得がいかない所はあったけれど、これは好みの問題だろう。また、長い本編で理解しきれていない所もあるので、もう一度観たら変わるかもしれない。
↑違和感は、
・ナナリーという目的を失ったあとで行動する理由とか(あれは本気でなぜ?想像してた以上に彼は利他精神が強かったのか、本気でロロに心を動かされたのか)
・あれだけの事をしていながら、親との対峙で、親が悪い、みんなの為に、と言えてしまうところとか。
あと…守られるべき無力なヒロイン・お飾りとしての皇女として描かれているかと思われたナナリーが、兵器の発射スイッチを握ることになるとは。彼女は強い子ですよね…。彼女が目を開いたシーンは美しかったな。
ナナリーにギアスをかけ、嘘を突き通したルルーシュに拍手。
ここのルルーシュを格好いいと思いました。
なぜルルーシュがあそこまで人を心酔されているのかも判明。
そうか、他の人はギアスがあると知らないからだ。だからすごいやつだと思う。当然だ。
こういう所を見ると、コードギアスは一貫して情報戦の話だったのかもしれない。
一貫したスザク
この作品では一番スザクが好きでしたね。
彼はダークヒーロールルーシュと対比されるいい子ポジション、かと思いきや、ものすごく目的のためなら手段を選ばない人なのだ。相手も選ばない。
成り上がるためには友達も売るしクーデターだって起こす。
彼の一貫性はイイ性格してんな〜!!と感じさせる程だが、その一貫性は見ていて気持ちがいい。
父親殺害の事実やそれゆえの自罰的な性格なども好青年然とした物言いや姿とギャップがあって良い。
※目的のためには手段を選ばないのはルルーシュ、手段に拘るのはスザクと書かれているのをよく見るのですが…目的を「ブリタニアの変革」とするとたしかにそうなんですが、ここでは途中途中の小さな事について…少なくとも2期は逆じゃないかなと私は思うのでそのままにしておきます。
彼の目的はブリタニア内で日本を取り返す権限のあるナイトオブワンという地位に就くことなんだけど、皇帝ルルーシュの騎士になった彼がそれすら超えてナイトオブ"ゼロ"と呼ばれてたことにはグッときた。
この作品の決着に思うこと
人の能力に期待せず、尊厳を犠牲にして恒久の平和を目指すラスボス(シュナイゼル)と
憎しみを一手に引きつけて殺されることで憎しみの連鎖を断ち切ろうとするヒーロー(ルルーシュ)の対比。
好きだな〜
同時期くらいの作品の、虐殺器官(ジョン)やNARUTO(ペインやマダラ⇄サスケ)でも似た考えが出てきた事を思うと、もしかして時代柄なのかな。
そんな中、コードギアスが独特だと思った点は、ルルーシュを討つ者が"ゼロ"自身であるところだ。
これまでルルーシュが作り上げてきたイメージが、彼の死の際にもうまく働く。ダークヒーローかと思いきや、「ゼロ」だけは正しく正義の味方になったんだな。
ルルーシュの他にゼロが出てきた時には、それが死んだかと思われたあの彼だった時には鳥肌が立った。
上手いな〜!そして救いがある。
このシーンで、これまでちらほら出てきていた「ゼロレクイエム」の意味にもすぐに納得がいった。
そしてここで生まれたルルーシュとスザクの共犯関係が良いですね。
互いに普通の幸せは望めないと覚悟しあっている。
作品において、また2人の関係において、スザクがはっきり「生きろ」を「呪い」と言ったように、またルルーシュが彼にかけた最後の言葉のように、願いを良いものとは言っていないところがいいなと思う。
こういった自己犠牲的なヒーローの話を見ると、「泣いた赤鬼」を思い出すのが常なのだが、
ルルーシュには仲間がいた。何をしようかわかって受け入れた共犯相手もいた。
青鬼がその後どうするかを赤鬼は知っていた。それだけで物語には救いがある。
悲しい話かもしれないが、しっかり意思の疎通が行われて、うまく世界を動かした、英雄伝のように感じた。
ただ、自己犠牲的なヒーローはいつだって、一番身近な者のただ傍にいたかったという望みだけは叶えませんね……涙
現在、劇場版「復活のルルーシュ」をやっているようですね。
噂によるとルルーシュが生き返るとか…?
最新作を観る時は、本編を復習してから挑もうと思います。昨年やっていた劇場版三部作↓がアニメ本編の総集編だそうなので、そちらを観るのもありかな。
『フーガはユーガ』感想
伊坂幸太郎の『フーガはユーガ』
「僕の弟は僕よりも結構、元気です。」
少し特別な力を持った双子の話。
双子の兄弟もので切ないと聞いて、とても気になっていた本でした。
(ややネタバレ)
内容は相変わらず外れなしの面白さに伏線回収!
全体像を掴ませない構成が、いつもよりもミステリーに寄ってるようで、少し新鮮だった。
好みなのもありますが、伊坂作品の中でも読みやすく、あっという間に読み終えました。
主人公優我がアクションを起こす理由は、横暴な父に尊厳を踏みにじられていた自分や、過去には女の子を救えなかった自分に報いるのための、リベンジ戦。こういう所が好きでした。
父とも呼べないDV父に立ち向かい、街で起こる胸の悪くなるような事件に向き合う兄弟の話という点で、重力ピエロと少し似ている。
そういうテーマでも、どこか飄々としてそこまで重苦しくならないのが伊坂さんらしい。
彼らはこれまで出てきた兄弟…安藤兄弟(魔王)やスプリング兄弟(重力ピエロ)…に比べると、さっぱりしていて普通の「兄弟らしい」。
ただ、そうやって愛を語る必要がない位、彼らには初めから表裏一体で、それこそ二人で一つという印象があった。
この小説は「撃たれてから」を含めほとんどずっと優我の目線で進むのが印象的だった。
最終章も時々もしかして…?と思わされる。
安藤のようにツいてる側の見守る目線はこういう感じなのかもしれない、と思えた。
(と思ったら、本人が言っていましたねp44で。安藤の鷹といい、こういうのうまいなぁ)
双子は…入れ替わって戦うことができる事が、
もしも片方が動けなくなっても、誰かの前に本人かのように現れる事ができるのが特別ですね……涙
懐かしい名前とも少し出会えましたね。
そういえば優我に名前が似てることユーゴ(オーデュボンの祈り)は、未来が見えてしまうけれど、それをどうにかする術は持たない案山子だったな。
↑読んでいて思い出さずにはいられなかった、DV父のもとで、二人なんとか生きてきた、不思議な現象を持った双子の話
↑個人的には双子の不思議な能力と入れ替わりといえば、これ
舞台「罪と罰」の感想
19年1月30日、罪と罰の舞台を滑り込みで観てきました…!
ドストエフスキーの狂気的で生命力に満ちていて激しい魅力に引きずられてこの記事のテンションもそんな感じです。
(以下勢いで書いた感想です ネタバレあり)
バッタバッタ倒れるラスコーリニコフ。
小説でもよく卒倒してたけど舞台はそれ以上に倒れるのですこし笑えてくる。
15回くらいは倒れてた気がする。
小説は彼目線で読んでいるので確信はもてなかったけれど、こうして外から見ると明らかにラスコーリニコフの言動は異常。
こらバレるわ。むしろよく終盤までバレなかったなと思う。
彼は常にうわ言を言ったり、激昂したり…正気と狂気の淵にいるのだけど、その演出がすごかった。
観ている方まで幻覚の中にいるように錯覚させられる。
今まで喋っていた者が突然彼を糾弾し始めたり、亡霊が一斉に向かってきたり。
嫌に響く声と赤いライト。
光と音の質が切り替わってパッと目が醒めるような演出も秀逸。
特徴的だと思ったのは、モブの描き方。ラスコーリニコフが老婆を殴り倒す時に一緒にその動作をしたり、凄惨な場面で悲鳴をあげて逃げ惑ったり。
そういう、実際にはそこに人はいない場面でも舞台装置として動いていた。
この騒がしさからは、ラスコーリニコフが犯行に至った一因の、ロシアの当時の状況の悲惨さや息苦しい空気感を感じられた。
人には新鮮な空気が必要なんですね。ここにはそれが無いのだと。
当時の悲惨さという面で、カテリーナと子供達も良かった。
ラスコーリニコフとはまた違った形で、環境と病気のせいで少しおかしくなってしまっている人というのが、妙な剽軽さや過激さから伝わってくる怪演。
原作のカテリーナは喚き立てるような姿が見ていて辛くて好きではなかったのだけど、そのさじ加減が絶妙だった舞台版の彼女は好きになれたな。
夫マルメラードフもイメージぴったり。
本来、もう喋らず動かない死んだ人の様子が描かれるのが舞台の良いところだな〜と再確認したシーンがあって。
生き絶えた彼が舞台上から去る時、ソーニャとハグをしてから行くのだ…😭
核心を突かれた時の怯えたか細い声(露骨!バレるぞ!)、涙声、激昂する声。落ち着きのない挙動。また捲し立てる様も圧巻でこれぞドストエフスキーだ!!
ありがとうと言いたくなった。ちょっとドラマカラマーゾフの勲も彷彿とする演技でした。
彼の顔は常に汗にびっしょり濡れていて病的だった。あんなのどうやって再現しているのだろう。
あと見間違えで無ければ終盤までずっと血塗れの手だった…?演出かな。
熱に浮かされたような登場人物たち。みんな狂気に満ち満ちていて、そうでありながら考えを持っている。
また、突然椅子を蹴り倒したりマットレスを遠くにぶん投げたり舞台装置の椅子を片すかと思いきややはり舞台の奥にぶん投げたり…どんがらがっしゃんの連続。舞台でですよ?
ドストエフスキーキャラはこうでなくっちゃ!という意味のわからない激しさがありました。
こういうところが大好きだ。
はっとするような眩しい美しさのある場面もありました。
例えばラスコーリニコフが十字を掲げる場面や、最後に背後の壁が拓けて眩しい明かりが差し込む場面。
背後の壁にはロシア語で何かが書かれてた。何が書かれてたんだろう。もしかしてそれが開けることに何か意味があったのだろうか。
最後のソーニャがラスコーリニコフにパンを分けるシーンは幻想的だった。
弁証法の代わりに生活が出てきた場面かな。
あとパン=聖体?と思うと、神をラスコーリニコフが受け入れた…もしくは神の罰をラスコーリニコフが受けられるようになった演出だったりするのかな。
最後に光の中囚人たちが運んできた木材も十字になっていましたね……✨
全体的に、ドストエフスキーらしさ溢れる舞台だったと思います。
あとはポルフィーリーがとても演技が良かった。長台詞をローテンションハイテンション織り交ぜつつ走り回りつつ話すところは小説のページが浮かぶようだった。あと慣れてらっしゃる印象で、アドリブも多く何度も笑わせられた。
マッチで火をつけては消しつけては消しと素早くするシーンがあったの、あれ器用だな〜。
心配になるくらいラスコーリニコフが一切喋らずポルフィーリーだけが話す場面…たぶん10分くらいも、全く沈黙が無いんですよね。すごいなぁ。
その最後にラスコーリニコフの手を使ってシーツを畳むシーンはじわじわきた。ほぼ棒立ちのラスコーリニコフ(一応客人)を使って綺麗ーに畳んだ後さも自然にくしゃりと落としてたので会場に笑いが起きていた。
ラズミーヒンもビジュアル含めぴったりイメージ通り。気が良くて明快で世話焼きで、結構単純で熱い男。
彼の愉快さは、ヘビーな舞台の癒しでしたね。
パーティだと銀の三角帽被って騒いでたり、ドゥーニャにわかりやすく惚れたり。
本でも大概世話焼きだったけど、こちらもそう。ラスコーリニコフをベッドにドウドウと押し戻したり、倒れたラスコーリニコフをベッドで膝枕して頭がしがししたり。
スヴィドリガイロフも良かった。特に言うことがないくらいに、妙な只者でなさを感じさせる雰囲気も、喋り方も、怪しさも、完璧に再現。
愛されないと知って絶望してからの、狡猾さももう必要とないとばかりに静かに終わりに向かって行くくだりがとても綺麗でした。ソーニャを救う彼は悪人には見えなかったし、雨の中傘をさした人の中を通り抜けて行く場面も暗く美しい。
彼は本当にドゥーニャを愛してたのだろうな。
とても幻想的なシーンが上手な舞台だったので、欲を言うなら彼と少女のシーンも見たかった…!
個人的に好きなゴッドファーザーや91daysでドン役で出られてた方なので、生で観られたの嬉しかったなぁ。彼らと比べて今回はドスが抜けて砕けた口調になっていてまた印象が違ったけど、大物の悪役が似合いますね。
逆にイメージが違ったのはソーニャ。本では弱々しく神がかり的な印象が強かったけど、舞台は力強くしっかりした子の印象。けれど小柄で、柔らかそうで色素の薄い髪の容姿が、守ってあげたくなるようだった。
彼女が序盤必死に神に祈るシーンは健気で壊れそうで、でも信仰を強く感じて鳥肌。
母さんと妹が、アリョーナとリザヴェータと同じキャストなのは皮肉だな。早く退場するので現実的な都合なのだろうけど。
どこかで本当にラスコーリニコフが殺したかったのは母だという説を見たので少し勘ぐってしまう。
ドゥーニャは原作通りの気が強い美人で格好良かったですね✨銃を構えた姿が美しく、スヴィドリガイロフの言うこともわかるな。
人間関係やキャラクター像、作中に出てくる台詞や思想、全部がつまった大満足の舞台でした✨
最後に会場となった舞台について。
想像していたより広く綺麗な場所でした。
予定が読めず後から追加した立ち見席は、中二階の後方右手側だったけれど、舞台の右端のほんの少し以外はよく見えるので概ね満足。
立ち見席については、足は疲れるので体力はいるかも。それが平気ならお得だと思います。
表情の演技も良かったのでオペラグラスは持って行って正解だった。
最後に、舞台観て「罪と罰」が気になった方におすすめしたい作品
ちょっと気になるけど本は難しそう…という方には上3つを。
上二つは舞台を日本に変えたドラマと漫画。キャラクター、ストーリー、テーマ、どれも概ね同じで、エンタメっぽさも強く読みやすいです。
ソーニャが舞台のように強く、あとスヴィドリガイロフがめっちゃ格好いい。
3つ目は一冊完結の漫画。綺麗な絵で早く罪と罰を知ることができます。ラスコーリニコフがとてもイケメンで目の保養。
最後が原作!数ある訳のうち、個人的にはこれが一番読みやすいと思いました。本好きな方はぜひ。
Jワールドは楽しいので大人のファンこそぜひ行って
今回は、前回の記事と関連して(順番が逆な気もしますが…笑)、Jワールドについて。
2月に閉園となってしまうJ-WORLD TOKYO
池袋のサンシャインシティにある、少年ジャンプのテーマパークです。
ぜひ!お好きな方にはやっているうちに行ってほしいな〜ということで魅力を語ります。
NARUTOが好きな一成人目線で書くよ!
・"聖地"としての魅力
・"忍戦ツアー"の魅力←メイン
・大人もぜひ行ってほしい
"聖地"としての魅力
一楽!イメージフード! うちはの石碑!千鳥のフォトスポットに、カカシ先生のミニゲーム。
他にもたくさん。
さすがテーマパークということで、世界観を感じさせるモチーフがたくさんで、見て歩くだけで楽しめます。
"忍戦ツアー"の魅力
イベントとしての魅力
世界観に飛び込み、キャラクターと一緒に作品に因んだアトラクションを回れるイベント。
そこではキャラクターと話せるので、うまく聞けばキャラクターの思いといった情報を本人から聞くこともできます。
3次元は毎秒が新規絵とはよく言ったものです。
それと、このツアーの特徴としては、アクターさんと参加者の距離が近い。
一対一での握手タイムやお話タイムも5分程度ある。
向こうからも話しかけてくれるし、ハイタッチや背を押すといったボディタッチも多め。
うっかり惚れそうになる人も多いと思う 笑
ツアーの間、参加者は"下忍"として扱われるので、「自分がキャラに干渉するのはちょっと…」という方も、安心してモブに徹せます。(体験談)
アクターさんはプロの役者さんのはずなので、こういう機会はなかなか珍しいのではないかな。
会話すると言うことで緊張する方もいらっしゃるかと思いますが、喋れなくても大丈夫。アクターさんがユーモア混じり、作品ネタたっぷりで上手く進めてくださいます。
交流の場としての魅力
ツアーは、最大6人で回ります。
フレンドリーな方も多く、同じくらい作品が好きな方と、作品の話をしたり、ネタをふりあったり…名前も知らず気兼ねないまま、その場でわいわい遊べます。
共有するのは好きという気持ちだけ。
こういう場って大人になると限られてくるので、良い体験ができるなと思います。
常連の方にツアーのコツや術のポーズを教えて頂いたりなどすることも✨
おかげで行って帰ってくるとNARUTOの知識が増えています 笑
ツアーは複数回行くことをお勧めします。
その3つの理由
1.慣れるとできることが広がるから。
勝手がわかると、こっちも遊んでみたり話を振ってみたりする余裕がでてくるので、ぐんと楽しくなります。
著者も初めは恥ずかしさもありましたが、2回目からは周りが少人数で来ている大人も多いこと、また皆で楽しむ場なのだということに気づき、気にならなくなりました。ふっきれてからはもう…クセになる。
2.毎回内容が変わるから。各回が違うことはもちろん、キャラクターやアクターさんによってもツアーの雰囲気は変わります。
舞台がお好きな方は5割がアドリブで行われる舞台を想像してもらうといいかも。
3.複数回あるツアーは全て通した作品になっているから。
ツアーは数週間単位で、キャラクターによってはそれが何度かあったよう。
その中で、原作と絡みあった緻密な伏線が、役者さんの演技やツアーの設定によって張られていました。
それが最終回で回収されたりもします。
イベントとしてだけでなく、数年間続く、かつ時間の流れのある舞台作品のような魅力があったのです。
→長編舞台作品のような魅力!!
物語が好きな自分としては、これが一番に推したいところかも。
数年間通して伏線張るってすごいよ…しかも参加者に合わせて臨機応変に喋る中で作品やキャラクターイメージを崩さないようにしながら。生半可な難易度ではないと思います。
そんなわけで
大人もぜひ行ってほしい
少年誌のテーマパーク、体験型アトラクション、と大人は行きづらいんじゃないか?と思う方もいると思います。
私もそうでした。
しかし実際行ってみてイメージが変わったことは、大人が多いこと。
ツアーにいらしてるのは20〜50代くらいの女性が8割で、そのうち1/3くらいはお一人で来ている方。
全体の年齢層は中学生〜50代くらい。
アニメファンの方は、アニメなどのコラボカフェをイメージし過ぎてもらうと良いかもしれない。そんなお客さん層でした。
なので、全然心配いらないと思います。お好きなら行くべきです。行く機会を逃す方がもったいないのではないかと、個人的には思います。
ちなみに"一楽"はそのままカウンターなので、一人の時居心地良いよ!
行くのを迷ってる方の後押しになればいいなと思いつつこの記事を終わります。
忍戦におけるイタチの解釈と、イタチツアーの次回があるかもしれないと思った話
※前提
筆者は兄弟ツアーに参加した回数は少ないです。18/7/21 12:00〜イタチツアー、19/1/11 11:30〜サスケツアー、同日19:00〜イタチツアーの全3回。
さらに、兄弟ツアーはアクターさんが複数いらっしゃるそうですが、11日の2回のサスケは同じ、3回のイタチは同じアクターさんでした。
その他の情報は、他の参加者様から直接もしくはレポで見聞きして得たものです。
よって、解釈は少ない情報から推測したものであり、ものすごく偏った内容である可能性が高いです。こちらをご留意の上ご覧ください。
忍戦ツアーのイタチには、内面的に、本編のイタチと印象が違うと思った部分が一点あった。
"まずはありのままの自分を認めてやること"ができていないのだ。
具体的には、
サスケや参加者のイタチを肯定するような言動を嫌がる(肯定の言葉を受け入れない、グッズを身につけない方がいいと言う等)
※本編イタチは徹底して自分にも他人にも合理的で必要以上には…(例えば穢土転時はサスケを諭す目的ありき、かつそれも最低限)そういう事を言わなかった印象。
また、本編穢土転生イタチの二大メッセージ(であったと思う)のうちの「仲間を頼れ」「自分を受け入れろ」の、前者は何度も口にするのに、後者を言わない。
これは、忍戦では、これまでのイタチの言動を「強がり」と解釈しているからではないかと推測する。
だとしたら、忍戦後半でイタチが(それが自己否定という形であっても)本心を表に出せるようになった事は、彼の強がりが和らいだ演出であり、いい事なのかもしれない。
昨日、忍戦のイタチが幸せをサスケの成長にしか見出せない人だった可能性を感じ、その場合には、忍戦でのラストはこれ以上ないハッピーエンドで最終回に相応しい、と思った。
だから続編はもうなく、あったらこれ以上は蛇足になってしまうとも思った。
しかし、忍戦イタチが「かつて強がりだった、自分を認められない人」として描かれているならば、彼がありのままの自分を認めるための物語が、これに続くかもしれない。
以上が「テーマの面から」イタチツアーが続くことは可能ではないかと思った話だ。
…また、イタチ信者のモブの決意
忍戦サスケはイタチのグッズに拘っていた気がする。つくれとすら言っていた。
そして、何度イタチに否定されても、最後までイタチを認めることをやめなかった。
これが、忍戦版兄さんに対する、兄弟ツアーという作品の答えではないかと受け取った。
これまで、イタチは頭がよく、全ての可能性を検討した上で彼の思うベストを話しているのだと思っていたが、そうでないとしたら、彼の言うことを全部崇高な者として、鵜呑みにする必要はない。
否定しても良い。
(※それで一般人が彼を変えられる、というのとは別の話。)
彼も人間なのだから。
そういう事を感じさせられたツアーだった。
イタチグッズはこの後も、身につけていきたい。
イタチに忍戦とは違った形で人間味を感じた真伝の感想はこちら
https://stormy97.hatenablog.com/entry/2018/10/31/215634